「均てん努力」の正統化
「格差」が「均てん努力」によって「是正」されなければならないのはなぜでしょうか。
他との比較から出てくる相違をただちに是正されるべき「格差」と考えるのではなく、それ自体を自分たちの資力や条件に見合った独自性ないし個性であるとみなすこともできます。
独自性や個性は他によってはおきかえられない希少価値でもあり、まねたり、まねられないから大事にしよう尊重しようということになります。
しかし、相違が格差だと考えられれば、格差は放置されていてはならない悪しき状態であるから是正されなければならないことになります。
この発想に基づく「均てん努力」は「憲法の平等治下」、「国恩」は平等に配分されるべきであるとする「民主主義」の理念によって根拠づけられます。
それは、同じ日本人であれば、あるいは同じ地域に住んでいる住民であれば、だれであれ、どこに住んでいても、できるかぎり等しい生活の水準や様式を、あるいは等しい公共のサービスや配慮をうけられて然るべきであるとする強力な平準化志向です。
・・・そのような「均てん」を是とする主張が根強く行われている場合には、少なくともルサンチマンを抱いている人びとや地域に対して、その格差の主張がどのくらい正確に格差の事実を反映しているかを問うことはできるにしても・・・
「格差」を「相違」といいかえ、「相違」を「個性」と説くことによっては、そうした主張を慰撫し鎮静させることは極めてむずかしいでしょう。
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