試練のなかの模索 2
たとえば、マーフィーが会長に就任した1974年1月には、ビュイック・リーガル・クーペの価格は4257ドルでしたが・・・
彼が引退した直後の1981年1月の同車の価格は、7787ドルと、実に82・9%の値上がりでした。
ガソリン価格の引き上げがこれに加わったから、値段が手ごろでガソリンを食わない日本車をすっかり呼びこんでしまったのは当然でした。
Xカーの欠陥車問題に加えて、オールズモビルなど中級車に大衆車のシボレーのエンジンを取り付けたから、消費者が怒り出しました。
さらにその後、サブコンパクトカーとして日本車に対抗できるという触れ込みだったJカーも、挫折しました。
しかし、これはブラジルで生産したものを急遽ワールドカーににわか仕立てしたものでした。
次にあらわれたのが、コンパクトカーのXカー・シリーズでした。